母の入院から1か月半。作業療法にも出たりしているらしい。
主治医から一時帰宅の提案があったもの「自信が無い」と言ったらしく今月の帰宅は難しそう。
私も母に直接電話しようという思いはあるものの勇気がなくて2週間過ぎている。
休日に実家に帰っては農作物の収穫を手伝ったりご飯作って父と食べたり。
最近はニートの甥が週一で手伝いに来てくれている。どうやら姉の代わりのようだが、理由がどうであれバスで1時間の道を来てくれるのだからありがたい。
久々に話したけどそんなコミュ障じゃないから何か始めればニートじゃなくなりそうなのにな。色んな道があるのは分かってるつもりだけど「社会に出て働けば良いのに」と思ってしまう私はやっぱり脳が凝り固まっているのか。
腰が痛いと言っていた父も症状が重くなり、農作業の活動は実質、日中の3~4時間ほど。
漸く掛かった整形外科で脊椎狭窄症の診断を受けた。静注で効果が無ければ手術の可能性もあるらしい。
じゃがいも掘りの大仕事が残ってるけどどうするつもりか。私ひとりではさせては貰えないだろうな。

両親は祖父母に倣おうとしたかったのだと思う
親や子への献身、仕事への向き合い方
話に聴く祖父母の姿は本当に働き者で子や孫を想っていた。
ただそれを実践できるかと言ったら無理、無茶。
祖父は祖父、父は父。
祖父母の思いが全員に伝わらなかったように。
私も母のようにはなれないし、姉に母の価値観を押し付けるのも違う。
ただそうでありたい、そうであってほしいという願いは、わかる。
70代に足を突っ込んだ。今までと同じに行かないだろう。
どう向き合っていくのか、私はどうしたい。

 

振り返ると今年は別れの多い年だった。
同僚4人、私が関わった利用者様5人。
もう一人同僚が「最低でも異動したい」と言っている。
私は状況に飲まれて言い出せないまま
管理者にならないかと言われ、研修を受けることになりそう。その他にも仕事が増えてきた。自分のやるべきことと、任せる仕事の区別、他人を頼ることを意識しないと。今までどおりにいかないことがここにも出てきた。
そして介福の勉強を一か月ほどしていない。問題集を持って往復するだけ。
今日受験票が届いた。今年から出題の変更があるらしいし、本腰入れなければ。

 

『天使にラブソングを2』に元気をもらった。以来録画を何回も観てる。
今日の昼はBSで『舟を編む』をやってた。録り忘れたけど残り1時間は見れた。
21時からは『フラッシュダンス』これは予約してる。
うちのTV(というかデッキ)、録画するとその時間は録画番組を強制的に見る事になる。他に見たい時にとても困る。